今月は4月8日の花祭り、お釈迦さまの誕生会があり、甘茶のお接待には近所の方々が大勢お参りくださいました。また、10日から12日にかけて2泊3日の西国三十三観音巡拝があり、桜の時期に重なり、お天気にも恵まれて良いお参りができました。
桜も終わりますと今度は新緑。同時に落ち葉や雑草との追いかけっこが始ります。
大変だなと思う反面、境内を掃除すると気持ちよく、有り難く感じます。
さて、今回の標語はお大師さまの著作「性霊集(しょうりょうしゅう)巻第十」の中にある教えのひとつです。
天台宗の祖、最澄さんとお大師さまの手紙でのやり取りで、密教経典の借用を求めてこられた最澄さんに対する返事として「いくら信じ修することの大切さを述べたところで、あなたは実際には信じ修していないではないか」という意味の指摘をなされたことは有名です。
最澄さんは非常に優秀な方で勤勉であり、重要な教えを求める為なら宗祖という立場おも二の次にしてお大師さまに教えを請うほど熱心ではありましたが、授かった教え、仏さまの拝み方、作法といったことを文字で追うだけではそこに秘められた本当に大切な教理には達することができないことをお伝えしたかったようです。
知識として記憶し習得することも大切ではありますが、それを信じて実践を積み、仏さまの智慧を体感、体得していくのが密教を理解することになるからです。
密教に限らず全てのことに通じる教えを胸に刻んで、より良く生きるための糧にしたいものです。合掌
|