梅雨の季節となりました。森泉寺裏参道のアジサイが色とりどりの花を咲かせ、楽しませてくれています。
今、こうして無心に咲く花とは違い、私達人間はしばしば心が揺らぎ、悩むことが多くあるかと思います。
法事などで唱える在家向けの勤行次第には先ず「懺悔文」があります。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
これは自分が生前、そして現世においてむさぼり、いかり、ぐちの心によってこの身、口、意が造ってしまったもろのろの悪業の一切を今懺悔します。
という意味で、三帰、三竟、十善戒を仏さまにお誓いする前に、礼拝し反省をする文です。
以前にも述べましたが本来私たちの心には「仏性」(ぶっしょう)という仏さまの心が宿っており、太陽のように常に輝いているのですが、三毒(貪瞋痴)と言われる心が丁度梅雨空の雲のようにその光を覆い隠してしまい、表に見えなくなってしまっているのです。
どんなに有難いお経でも、乱れた心の状態で唱えてはその力が十分に発揮されません。悪業というマイナスのエネルギーは生じやすく、またあっという間に増大します。
「懺悔文」は先ずそのマイナスをゼロの状態にするためにあります。
心静かに合掌し自己反省をしていくと 今まで気付かなかった小さな幸せにも、感謝の気持ちが芽生えてくるように思います。 合掌
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